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モンテッソーリ教育から捉えた「遊び」|コラム|アネビーの遊び研究所

アネビーの遊び研究所

モンテッソーリ教育から捉えた「遊び」

2026.03.17

モンテッソーリ教育とは?~子どもの発達をとことんみつめた教育法~

はじめまして。モンテッソーリ教師で保育士の大津ゆう子と申します。「モンテッソーリ教育から捉えた『遊び』」をテーマにコラムを担当します。
普段は自身が運営する「モンテッソーリのちいさなお教室にじぐみ」の講師を務めております。「にじぐみ」では、一人ひとりの発達と興味に合わせたオーダーメイドの環境を整え、「できた!」の積み重ねを大切にしています。また、児童発達支援施設でも勤務し、子どもたちの多様な育ちに寄り添う実践を続けています。

モンテッソーリ教育とは?

モンテッソーリ教育とは?

今からおよそ119年前、モンテッソーリ教育はイタリアの女性医師マリア・モンテッソーリによって考案されました。ローマにて開設された「子どもの家」が、モンテッソーリ教育実践としての出発点でした。モンテッソーリ女史は深い観察から「子どもには自らを育てる力=自己教育力がある」と確信します。この力は、適切な時期(敏感期)にふさわしい環境があれば自然に伸びていくものであると。

「教え込む」ことよりも大切なこと。それは、子どもが自らの成長のプログラム ―自然からの宿題と呼ばれています― を発揮できるよう「環境」を用意することです。観察を通して、子どもたちが繰り返しやりたがっていることは何かに気づく目をもつことが大切だと、モンテッソーリは説きました。

モンテッソーリ教育には魅力的な教具がたくさんあります。ですが、それらの教具を使いこなせるようになることがモンテッソーリ教育の目的ではないのです。「自分を成長させたい!」と願う子どもの気持ちに私たち大人が気づき、子どもの力を引き出す関わり方や工夫のこと。そういった心の通じ合った子どもと大人のあたたかな営みが「モンテッソーリ教育」なのだろうと私は感じています。

☀︎私たち大人の仕事は「子どもがひとりでできるように手伝う」こと

私たち大人の仕事は「子どもがひとりでできるように手伝う」こと

子どもたちはまだうまく話せないうちから「ママ、ひとりでするのを手伝ってね!」と訴えています。

“Help me to help myself!”

何でも大人にやってもらうことを求めているのではなく、自分でできるように手伝ってほしい、というのが子どもの願い。子どもの観察からそのことに気づき、子どもがひとりでできるようにするには、どうしたらよいのか?援助するための具体的な方法を考えつづけてきたのがモンテッソーリ教育です。
「子どもがひとりでできるように手伝う」モンテッソーリ教育が目指すのは【子どもの自立(自律)】とも言い換えられると思います。

☀︎「おしごと」ってなあに??

「おしごと」ってなあに??

モンテッソーリ教育に関する本やインスタグラムの投稿を見ていると、頻繁に出てくるのが「おしごと」という単語。
「子どもが仕事をする」というと、大人の家事手伝いや職場体験のようなものを思い浮かべるかもしれませんね。モンテッソーリは「大人の仕事が生産的労働ならば、子どもの仕事は人間を形成すること」と言いました。子どもが教材教具をつかって手を動かしながらおこなう活動を、モンテッソーリ教育では「おしごと」と呼んでいます。子どもは自分で選んだ活動に集中し、繰り返し取り組むことで満足し、成長していきます。この活動のサイクルを通して、内面が安定し、その子らしい善さが現れてくるとモンテッソーリ教育では考えているのです。そう、「おしごと」とは、子どもが成長していくために必要なお仕事なのですよね。

「おしごと」でも遊びでも、子どもたちが自分で選んで取りかかることが、集中を引き出すポイントです。集中してやり切り、満足して自分から終わりにする…。このサイクルが子どもたちをひと回りもふた回りも成長させる。その過程を私は日々、目の当たりにしています。

どんな子どもにも自分を成長させるための「仕事」がある

どんな子どもにも自分を成長させるための「仕事」がある

モンテッソーリの子どもへの教育的な実践は、実は「子どもの家」設立以前からおこなわれていました。モンテッソーリ教育の原点は、障がい児との経験にあります。
医師として働きはじめたモンテッソーリは、ローマの精神病院で知的障がいのある子どもたちと出会います。病棟で子どもたちは食事を食べる以外なにもすることがなく、無為に過ごしているように見えました。病棟の管理人は子どもたちについてモンテッソーリにこう言います。「食事が終わると、床に這いずり回って、汚いパンくずを拾いあさっている」と。おそらく、その管理人の言葉には障がいのある子どもたちへの侮蔑の気持ちも込められていたのではないかと想像します。

しかし、モンテッソーリはその管理人の「見方」に疑問を抱きました。果たして本当にそうなのか?モンテッソーリは子どもたちを観察しました。そして「食事が終わるたびに床のパンくずを拾い集める行動」に、一つの仮説を立てました。「この子たちのこの行動は、単に食を満たすためのものではなく活動への飢えなのではないだろうか?」と。

知的障がいがあるとされていた子どもたちの行動を観察し、「子どもたちは自分の感覚器官と意思を働かせて、体を動かしたがっている!」と気づいたのです。誰にも命令されていないのに、何人もの子どもに同じ行動が表れたのは、病棟という限られた環境の中で「パンくずをみつけて指先でつまんで拾うこと」が、その時の【子どもの成長に必要な要素】だったからだとモンテッソーリは気づいたのです。

モンテッソーリは、当時「発達の可能性が低い」とされていた子どもたちに対しても深い観察と尊重のまなざしを向け、「子どもには自らを育てる力、自己教育力がある」という信念を育んでいきました。

おわりに

私が保育士を志したきっかけは、「障がいのある子もない子も共に学び育つ場をつくりたい」という思いでした。モンテッソーリ教育が障がい児との関わりから始まったという事実は、まさにインクルーシブ教育の原点だと感じています。子どもたちの発達を丁寧に見つめ、インクルーシブな遊び場づくりを実践するアネビーさんとモンテッソーリ教育が出会ったのも、きっと必然だったのだと思います。

【執筆】
大津ゆう子
おおつゆうこ
モンテッソーリ教師、保育士、発達障害児支援士
モンテッソーリのちいさなお教室「にじぐみ」主宰
https://www.instagram.com/soraiangle/

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